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2016年度 来日オーケストラ公演

2016年6月28日 バーミンガム市交響楽団

 昨年度はロンドンフィル、ベルリン歌劇場管弦楽団と珍しく有名オケ、つまり大枚をはたいたコンサートの年でしたが、今年度はすでに6月末。とはいっても、今年2月のベルリン歌劇場管弦楽団の公演は今年の2月ですから、まだ4ヶ月のブランクですが、新たなページをこの時期に開設するというのは、やはり出遅れの感があるのは否めません。
 このバーミンガム市交響楽団、英語でCity of Birmingham Symphony Orcestraと言った方が馴染みがありますが、指揮は山田和樹。この人は海外オケとの共演も多く、若手のホープとして、すでに定評がある指揮者ですが、私にとっては今回が初めて。それも、バーミンガム市響という、かつてサイモン・ラトルが音楽監督だった頃、一地方オーケストラを世界的なオーケストラに育てあげたことで有名なオケを率いての、いわば凱旋公演です。当然、期待も大きくなりますが、まさに期待以上の感動的な公演でした。演奏者と会場の一体感というのは、ライブの特徴として良く言われますが、当夜はまさにその言葉にふさわしい、演奏者の高揚した気持ちが、そのまま会場の聴衆に乗り移ってくるような、まさに身魂の公演でした。ただ、それは山田和樹というよりも、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番で登場したピアニストの河村尚子に、よりふさわしい言葉でしょう。

 当夜のプログラムは、エグモント序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲 第三番、休憩をはさんで、ベートーヴェンの交響曲 第7番。最初のエグモント序曲でまず感じたのは、重厚なベートーヴェンではなく、しなやかで軽く、とっても明るい響き。イギリスのオケと言えば、昨年聞いたロンドンフィルの印象が強烈で、いまだにその印象が強く残っていますが、このバーミンガム市響も、透明かつ流麗な弦を聞かせてくれます。金管楽器も音圧は十分ですが、ロンドンフィルのように離れて置かずとも、バランスを崩すようなことはありません。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番は2番ほど有名ではありませんが、いかにもラフマニノフらしい、美しい旋律にあふれた曲です。ただし、ピアニスト泣かせの相当な難曲であるらしく、それは聞いていてもわかりますが、当夜のパンフレットにある川村尚子のコメントが面白い。「最近活躍するピアニストなら誰もが演奏する名曲ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第3番。しかし20年前までは誰しもが特別な感覚でこの大作に挑んだと感じられるのは私だけだろうか?とにかく音符が多すぎてすんなりと頭に入らず、全てを暗記するのに大変苦労した。きっとエベレスト級の山登りやフルマラソンを走る時もこんな感覚なのだろう、とさえ思った」
  そんな思いを抱きながら準備してきて、無事弾き終えたという安堵感がそうさせたのか、盛大な拍手のなか、山田和樹と抱きあっていたのは、とても印象的でした。
 そのラフマニノフ、派手な2番にくらべて、あっけないほど淡々とした出だしで始まります。川村尚子のコメントの通り、つかみどころのない音楽が綿々と続くのですが、深い響きを聞かせるところは重厚に、そして軽快なところは弾むようにと、曲の流れに応じて表現が変わっていくところはさすがで、そういう曲想の変化はピアノがオーケストラをリードしていきます。この曲、CDでもめったに聞くことはないのですが、改めて思ったのはカデンツァの巨大さで、それも第1楽章と第3楽章に二度も登場するのですが、これぞコンサート・グランドという、オケにも負けない豊かな音響に満ちています。ラフマニノフという作曲家、実はあまり好きではなく、同じ近代ロシアではプロコフィエフの方が自分の好みですが、こういう演奏に接すると、曲そのもの印象ががらっと変わってしまいます。
 やはり、音楽というのはその演奏に引き込まれるか否かがすべてで、その意味では、どこかで書きましたが、「音楽には良い音楽とそうでない音楽しかない」というのも納得できます。この演奏会の評もすでに丸8年続けてますが、あたかも評論家のように、この指揮者はどんな音楽をする人かなどと思っているうちは感動がない証拠で、こういう演奏に出会うと、そんなことはどうでもよくなって、ただひたすら演奏に引き込まれてしまいます。冒頭述べたように、それが私だけでなく、会場にいた多くの聴衆が感じたであろうことは間違いなく、それがまた演奏家との一体感を醸成したということなのでしょう。ともあれ、こういう演奏会は極めてまれで、ここサントリー・ホールで巡り合ったことを幸運と思わざるをえません。

 最後のベートーヴェンの交響曲 第7番。いわずもがな、独特のリズム感のある曲ですが、山田和樹の指揮はそういう力感やリズム感よりも、音楽の流れをより重視した姿勢と感じました。エグモント序曲でまず気づいたオーケストラの響きが柔らかいという特徴はこの第7交響曲でも健在で、それは特に弦と木管楽器について言えるのですが、その柔らかい響きが終盤にむけて一直線になりがちなこの曲に余裕を与えていることは間違いないでしょう。オーストラの内声部が良く 聞き取れるのは、現代の若手指揮者共通の特徴ですが、そういうことを意図せずとも、このオーケストラの技量をもってすれば、要所を締めるだけで、自然とそういう音楽が出来上がるのではないかと思いました。(2016年6月)

2016年11月25日 パリ管弦楽団

 6月のバーミンガムで今年は出遅れたと書きましたが、個人的に今年度2度目の来日オーケストラ公演となるパリ管弦楽団に出向いたのは、すでに11月。ここ数年では例がない少なさです。仕事の関係で、秋以降のスケジュールが決められなかったのがその理由ですが、実は11月の初旬には内田光子の弾き振りによるモーツアルトのピアノコンチェルトシリーズもチケットを確保していたものの出張延期となって、結局行けずに終わってしまいました。自らの意志で仕事を続けているとはいえ、こういうことがあると、セミリタイアとはいえ、まだまだ仕事を持つことによる制約に縛られていることを実感します。
 さて、久々の来日オーケストラ公演はパリ管弦楽団で、指揮はダニエル・ハーディング。この指揮者はかつてマーラーチャンバーオーケストラの指揮者だった人で、たまたま今回の演奏曲目であるメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトのCDを保有しています。そのCDも流麗かつ軽快という感じの、ノリの良い演奏ですが、今回はヴァイオリンの独奏者は異なるものの、同様な印象でした。最も印象的だったのは、十分美しい2楽章さに続く、第3楽章。こんなに軽やかで、よく弾む曲だったかしらと思う間に終わってしまいました。ヴァイオリニストはジョシュア・ベルというアメリカ生まれのまだ若い人。この曲、誰が弾いても気持ちよく聞こえるので、確かなことは言えませんが、終始美しい音色で楽しませてくれました。

 当夜の場所は東京芸術劇場。パリ管弦楽団は今年のNHK音楽祭にもエントリーしており、NHKホールでの公演に比べると、やや割高ですが、曲目の良さもあり、こちらにしました。当夜の席は2階の左寄りですが、ボックス席のような作りの最前列。椅子に深く座ると、客席がほとんど見えず、やや遠くにステージ全体が俯瞰できる、とても心地よい席でした。さらに最前列は二人だけなので、自宅でオーディオを聞いている時のようなくつろいだ雰囲気があります。サントリーホールに比べて狭いと思っていた芸術劇場ですが、この席ですとそういう感じは受けません。難点は見下ろすことになるので、音量は十分なものの、オーケストラの音に包まれるという感じがないのはやや物足りない点です。

 後半の曲はマーラーの交響曲第5番。メンデルスゾーンとは一転して、重くゆっくりした出だしで、やや思わせぶりな音の運びが気になりました。多分に視覚的イメージがあるとは言え、各パートがとてもよく聞こえて、やはり現代の指揮者らしく、分析的というか、楽譜に記された音を漏れなく表現しているという感じです。
 加えて、これは曲のもつ性格かもしれませんが、とても賑やかな音で、ちょうどオーディオで、スピーカーが変わると、同じCDからいろんな音が聞こえてくるのと似ています。そのせいもあるのか、音楽よりも音に関心が向かって、すんなりとマーラーの音楽を楽しむということにはなりません。特筆すべきはとびきりの名手ぞろいの管楽器群で、トランペット、トロンボーン、そして圧巻はホルン。マーラーの交響曲には牧歌的なシーンがよく登場しますが、あたかも遠くから響いてくるようなホルンが、そういうイメージを作り上げて、とても心地良い響きに満たされました。その管楽器群にくらべて、やや見劣りするのが弦楽器群。決して技量が劣るのではなく、心地よい管楽器としっくりかみ合っていないというか、もう少し表現力があっても良いのではといった印象が残りました。とはいうものの、2楽章あたりからエキサイトしてきて、そういったことはあまり気にならなくなりました。久々のマーラーでしたが、昨年、シュルル・デュトアがN響とやったマーラーの第3番の時のことを思えば、もっと素直にマーラーの世界に引き込まれたのは事実で、そういう点では違和感というほどではないものの、ハーディングとパリ管の関係はまだ発展途上ということなのかもしれません。(2016年11月)