昨年は10月に登場したアンドレ・プレビン、今シーズンは9月の公演となりました。例年、秋のシーズンは出張と重なることが多いのですが、今年は幸先良いスタートとなりました。ただし今年は戦後3番目という記録的暑さで、9月も依然として暑く、およそ演奏会という雰囲気ではなかったものの、最後の週になってようやく涼しくなり、秋のシーズンの幕開けとなりました。
昨シーズンの最後は6月で、久々に生のオーケストラの醍醐味を期待して行ったのですが、そこはアンドレ・プレビンということがわかった時点でいささか期待外れとなりました。しかも曲目はモーツアルトとハイドンとくれば、聞かなくてもどういう演奏か予想がつきます。ただ、モーツアルトは交響曲第1番と、41番というユニークな組み合わせ。最初と最後という選曲にどういう意図があるのか知る由もありませんが、これらの曲で演奏スタイルに違いはなく、良く言えば自然体で心地よい音楽、悪く言えばBGM的で、眠気を誘うような音楽というと言い過ぎでしょうか。最後のハイドンの交響曲102番も同様で、ハイドンらしい軽快な音楽なのですが、どうも食い足りないというのも事実。最近はこういう穏やかな音楽というのは流行らず、もっと切れの良い、はっとさせるような演奏が数多くあります。たとえばハイドンでいえば、フランス・ブリュヘン。聞いていて楽しく、しかもそこには心に迫ってくるものがあり、日頃そういう演奏のCDに馴染んでいるということが、よけいアンドレ・プレビンの演奏に食い足りなさを感じさせるのではないでしょうか。
演奏会の良さはもちろん、いろんな演奏曲目、かつ演奏スタイルに接することにありますが、一方で、今回のように、久々にオーケストラの醍醐味を期待していた身にとっては、演奏会というのはその時の雰囲気に合った音楽や演奏を選べないという不自由さもあるわけで、これは致し方ないところでしょう。このことはオーディオマニアには特に当てはまることで、日頃気に入ったCDをその時の雰囲気に合わせて、いわば「演奏している」オーディオマニアにとっては、当夜の演奏はより物足りなかったのではないかと思います。
そのアンドレ・プレビンですが、昨年も指揮台まで随分ゆっくりと歩いていましたが、今年は介助の手が必要な状態で、体の方も大分衰えた印象でした。年齢を経てもなおかつ前進する演奏家も多いのですが、アンドレ・プレビンの場合は、そういったことは想像しがたく、音楽が本来持っている美しさや心地よさを、より洗練させていくのが彼の演奏スタイルだということは十分伝わってきた一夜でした。(2012年9月)
先月が物足りない演奏家だったことを抜きにしても、今月の定期演奏会は、久々にオーケストラの醍醐味を味わうことができました。指揮はN響の定期演奏会に初登場のロリン・マゼール。82歳で初めてN響を指揮するというのも珍しいですが、こういう超有名指揮者を引っ張ってくるのはN響ならではというところです。曲目はモーツアルトの交響曲第38番ニ長調、ウェーバーのクラリネット協奏曲第2番変ホ長調、そしてラベルのスペイン狂詩曲とボレロという、名曲のてんこ盛りといったプログラム。
最初のモーツアルトは編成こそプレビンの時と変わりませんが、出てくる音はまさにフルオーケストラで、分厚い低音につややかな弦が重なるピラミッドバランスで、そのダイナミックな響きはオーディオ的快感そのもの。音が厚いというのは、低音域が充実しているということで、普段あまり聞こえてこないバズーンが強烈に存在を主張していました。一楽章はとてもゆったりしたテンポで、さりながら古典というイメージはなく、たっぷりと響く成熟した音楽という印象です。そういう意味では、新鮮味はないのですが、ゆったりと身を任せていられる安心感があります。
前半のもう一曲はウェーバーのクラリネット協奏曲で、こちらはダニエル・オッテンザマーのクラリネット。この人は若干26歳という若さで、ウィーンフィルの首席クラリネット奏者を務めているという才人らしい。当然それだけの実力を備えているのでしょうが、印象に残ったのは弱音の深さと長さ。それだけ肺活量があるということですが、クラリネットを吹いたことがない者でも、あれだけの力強い弱音というと矛盾していますが、そういう余裕のある音が出せる演奏者だということはすぐわかりました。ただ、若いゆえでしょうか、演奏時に動き回るので、視覚的に落ち着きません。本人にとっては、それがゆえにノリの良い演奏ができるのかもしれませんが。ところで、このウェーバーのクラリネット協奏曲、また聞いてみたいと思うほどの曲ではないのですが、演奏者の軽快なノリで楽しく、緩徐楽章など、味わい深いものがありました。
当夜のハイライトは休憩後のラヴェル。モーツアルトでさえ十分感じられた、オーケストラの音色がまさに乱舞といった感じで、圧巻でした。スペイン狂詩曲は難しい曲で、これに限らず、ラヴェルの曲は得てしてちぐはぐな感じの演奏が多いのですが、さすがN響で、よくまとまっていました。ただ、やはり律儀なN響の性格はまぎれもなく、このあたりはシャルル・デュトワだと、もっと奔放さが出てくるのではないかと思います。とはいえ、初めて指揮をするN響を相手に、短時間でここまでまとめるのはやはりロリン・マゼールならではということでしょう。この指揮者、実はDSICのページに登場しており、そこではリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲がダイナミック・レンジが足りず、うまく鳴らないCDの例として紹介しています。そんなこともあり、あまり良い印象はなかったのですが、生の演奏ではまったく違い、むしろダイナミックで、オーケストラのコントロールに長けた、いわゆる職人的な指揮者という演奏でした。そういう意味ではマゼールより1歳年上のハイティンクと同類といえるでしょうが、こちらはまだ生で聞いていないので、確信はありません。それに、ハイティンクも、まだN響を指揮したことがないのではないかしら。(2012年10月)
今月も客演指揮者で、オランダのエド・デ・ワールト。この人もすでに定評のある指揮者ですが、個人的にはあまり馴染みがありません。CDはオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団を指揮したワーグナーの序曲集があるくらいで、初めて聞く指揮者といっても良いでしょう。当夜の曲目は、メンデルスゾーンのフィンガルの洞窟序曲、ブルッフのヴァイオリン協奏曲、そしてリヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。メンデルスゾーンは淡々とした演奏で、悪くはないのですが、やや盛り上がりに欠ける印象。それよりも気になったのはオーケストラの音がやけに乾いた音で、今までとかなり違っていたことです。この音の印象は最後まで変わらなかったので、恐らく季節の変化によるものと思います。考えてみれば、今年の11月は例年に比べて寒く、急に来た冬がもたらした乾燥した空気のせいではないでしょうか。
ブルッフのヴァイオリン協奏曲ソリストはジャニーヌ・ヤンセン。たまたま同じ曲のCDのジャケットの写真が清楚な感じがしたのが記憶にありましたが、舞台に出てきた姿を見てびっくり。写真というのはわからないもので、指揮者よりも、恐らくN響の誰よりも背が高く、まるでオペラ歌手のよう。しかし、その音は舞台姿らは想像もつかないくらい美しく、繊細なもので、あまたのヴァイオリニストの中でも人気が高いのは良くわかります。その美しいヴァイオリンをオーケストラがしっかりと、しかも優しく包み込む様は、まさにヴァイオリンコンチェルトの醍醐味です。この曲はいわゆる聴き映えのする曲で、悪く言えば誰が弾いてもそれなりに聞こえる作品ということを抜きにしても、まさに至福のひと時という言葉がぴったりの演奏でした。間違いなく、今年の最も印象に残ったソリストの候補となるでしょう。
エト・デ・ワールトの指揮を聞いていて思ったのは、こういう人は大きな編成の作品ほど、その良さが発揮されるのではないかということ。そういう意味では最後のシュトラウスの家庭交響曲は格好の題材で、確かにN響を操る手腕は極めて高いと感じたものの、残念ながらこの曲、どうも個人的に馴染めなく、CDも最後まで聞いたことがありません。そういう不勉強ぶりがたたって、当夜も途中から朦朧としてしまい、この演奏について云々する資格はありません。ただ、言えることは、先月のロリン・マゼールと同様、いわゆる職人肌の指揮者で、オーケストラを育てるという力量の高さは、マイナーな楽団を一流のオケに育てた過去の実績が証明しています。願わくば、Cプロのブルックナーを聞いてみたかったと思う反面、ブルッフはそれを補って余りある演奏会でした。(2012年11月)
昨年11月以来、5ヶ月ぶりのN響定期公演です。4月から再びリタイア生活となったことはすでにブリュッヘンの演奏会で報告済みですが、会社からあわただしくサントリー・ホールに向かうのと違い、十分な余裕をもって出かけるのは、やはり良いものです。とはいえ、当夜は帰りにかなり激しい雨に見舞われてしまいました。
4月はロシア出身のセミョーン・ビシュコフ。この人、確か以前に登場したはずと、過去の記録をみたら、3年前の2010年2月に登場していました。その時の情熱的な音楽は今でもはっきりと記憶していますので、あれからもう3年もたったのかという感じです。当時の記録によると、その熱血漢的な指揮にオケがついていっていないという感想でしたが、今回はそのあたりはまるで違って、指揮者の情熱がオケにも乗り移ったかのような、極めて情熱的な演奏でした。
当夜の曲目はデュビュニョンという、現役の作曲家による作品で、2台のピアノと2つのオーケストラのための協奏曲「バトルフィールド」作品54と、休憩を挟んでベルリオーズの幻想交響曲。デュビュニョンはスイス出身の作曲家で、コントラバスの奏者でもあるそうです。曲は名前の通りバトルなのですが、2台のピアノはもとより、オーケストラも2組が対抗してバトルを繰り広げるという趣向。ところが、これら2つのオケが競い合うのかとおもいきや、たとえば左側のオケに対して、右側のオケのチェロのみが応えるというのあり、バトルというより両者が融合しているというシーンも結構ありました。曲自体は親しみやすいもので、ラテン音楽やら、ショスタコーヴィチを思わせる旋律があったりで、いろんな音楽のてんこ盛りというイメージ。
ところで、この2台のピアノとオーケストラのための協奏曲は日本初演だそうで、ピアノの奏者はあのラベック姉妹。この二人は一時期ブームになったのを記憶していますが、このところはあまり話題になりません。パンフレットによれば、妹のマリエルの夫が指揮者のビシュコフとのことで、そういう縁もあって、今回の共演になったようです。2台のピアノのための曲というのはそんなに多くないし、そもそも2台もあると音が重くなりすぎてしまいますから、2台に限定すると、あまり活躍の場がなくなってしまうのも頷けます。そういう環境の変化もあってか、サービス精神が旺盛で、あまり拍手もないのに2曲もアンコールをやってました。
最後の幻想交響曲は文句なく楽しめました。冒頭記したように、ここではオケと指揮者が一体となって、それでなくとも燃え上がりやすい曲がその真価を発揮した演奏でした。4月に18世紀オーケストラを聞いて、その管楽器群に魅せられたばかりですが、当夜は現在オーケストラの特徴が最大限発揮された輝かしく、しかも分厚い管楽器群で、その音がまた素晴らしい。もちろんどちらが良いという話ではなく、いずれも洗練された楽器と奏者によって発揮されるものであることはいうまでもありません。(2013年4月)
中国出身の音楽家いえば、ピアノとかヴァイオリンの演奏家を思い出しますが、作曲家にもすごい人がいるということを知らされた5月の定期公演でした。過去には日本、ついで韓国、やや遅れて中国という感じでしょうか、まさに経済の発展とともにアジア出身の芸術家が世界で活躍する時代になってきました。
5月のBプロは、タン・ドゥンという、中国出身の指揮者による自作自演。まず、(日本の津波犠牲者の追憶に)という副題のついた、「The Tears
of Nature」マリンバとオーケストラのための、というタン・ドゥンの作品。つづいて、ストラビンスキーの火の鳥、休憩を挟んで、最後に再び自作の女書:The
Secret Songs of Women〜13のマイクロフィルム、ハープ、オーケストラのための。現代音楽ということに加えて、何だかものものしい表題で馴染めない音楽を想像していたら、これがまったくの予想外れで、とても美しく、また、自然の姿や自然がもたらす出来事を連想させる、示唆に富んだ音楽で、音楽表現に極めて長けた人であることを実感した次第。確かにその音楽は津波を連想させるものではあるものの、決して写実的ではなく、むしろ極めて抽象的。とは言っても、決して不可解ではなく、むしろ素直に心に響いてくる音楽であるところが素晴らしい。鎮魂歌なので、当然かもしれませんが、そういう背景を知らずとも、十分に楽しめる音楽でした。特筆すべきはマリンバという楽器で、あの広いサントリー・ホールが飽和するかと思われるくらい豊かな響きを聞かせていました。
ストラビンスキーの火の鳥は、春の祭典と並んで、音楽愛好家よりもむしろオーディオ・マニアの間で良く知られた曲で、これほどフル・オーケストラの醍醐味が味わえ曲はないでしょう。第四曲めの一撃で、うとうとしていた隣のおばさんがびっくりした声を上げていましたが、そういうダイナミックな表現はもちろん、あれ、火の鳥ってこんなに優美な曲だったかなと思わせるほど、表現の幅がとてつもなく広い演奏でした。
最後の女書(中国語でニュウ・シュウと読む)とは、湖南省江水県の山村で発見された女性だけの間に伝わる、消滅寸前の特殊文字だそうで、当夜のパンフレットによれば、タン・ドゥンはこのルーツを探るため、現地調査を行い、伝承者から女書の読み書きを教わったそうです。文字だけですと、それが何故音楽になるのかという疑問が湧きますが、この女書は歌うことにより創作し、歌って伝承する、いわゆる口承文字で、かならず歌(吟唱)がついています。文字自体にも音楽に関連する事象に似ているものが多くあるそうで、それがタン・ドゥンにこのような作品を書かせることになったようです。
その女書ですが、そういう経緯で作られたためか、まるで交響楽付のドキュメンタリーを見るような感じがしました。特に現地で録音した吟唱に、オーケストラが伴奏していく様はまさにその象徴です。曲は13の表題で構成されていますが、印象に残ったのは水の表現。これは実際に水をしたたらせて、水音を出すのですが、それが実にリアルで、まったく違和感がありません。9曲目の娘の河という曲ですが、ここではスクリーンに実際の河が写されます。でもこれはなくてもまったく問題ないばかりか、むしろ映像がない方が想像力が湧きます。恐らく作曲者はドキュメンタリーであるということをあえて言いたかったのでしょうが、女書の吟唱も同じで、たとえばクラリネットなどで代替えして、純粋な交響詩としたほうが素直には楽しめる気もしました。ともあれ、最後曲である、女書と水のロックンロールなど、思わず拍子をとりたくなくような楽しい曲で、この人、ニューヨーク在住で、映画やミュージカルも作曲し、アカデミー作曲賞をとったこともあるというプロフィールを知れば、なるほどと頷けます。現代音楽では珍しく、また機会があれば是非、聞いてみたいと思った作曲家です。(2013年5月)
今年度も最後の公演となりました。例年、6月はアシュケナージでしたが、今年はチョン・ミョンフン。この人もすでに世界的に活躍している指揮者の一人で、韓国出身ということは名前を聞いて思い出す程度です。個人的にもCDは何枚か持っており、フランス放送フィルハーモニーと共演したラヴェル ダフニスとクロエは愛聴盤の一つです。
さて、当夜のプログラムはモーツアルトのピアノ協奏曲第21番と、マーラーの交響曲第5番。ピアノはこれまた韓国出身のチェ・ソンジンという人で、1994年生まれというから、まだ19歳という若さ。演奏態度はそんな若さを感じさせない堂々としたものでしたが、印象に残ったのは、左手の音がよく聞こえることで、音が濁らず、とてもクリア。そもそもモーツアルトの作品はそういう音楽ですが、やはり和声がきちんと聞こえるのは気持ちが良いものです。カデンツァは演奏家にゆだねられているので、奏者によって違うのは当然としても、出だしのところはちょっと違和感がありました。全体として、音量を抑えた演奏なので、そのあたりで発散させたいという若さゆえの思いもあったのでしょうか。オケの伴奏は颯爽としていかにも現代風でしたが、全体的には淡々とした感じで、この曲、やはりサロン向きの曲だなと思った次第。
マーラーは久々にN響の本領発揮といった感じで、素晴らしかった。私が聞いた今年度の定期演奏会の中でもトップレベルの演奏でした。金管楽器の演奏のうまさはN響の特徴ですが、第3楽章など、ホルン協奏曲かと思われるくらい大活躍で、しかもホルンという楽器の多彩な音色が楽しめました。チョン・ミョンフンの指揮はベルリオーズの音楽を聞いているかのようにぐいぐいと迫ってきて、実にダイナミック。何よりもあのN響から、うねるような音楽を引き出すところが並みの指揮者ではないところで、どうしても昨年のアシュケナージと比べてしまいます。
アシュケナージだと、つい生真面目さがでてしまうのですが、オーケストラの扱いにおいても随分と違いがあります。たとえば、クラリネットやオーボエがちょっとおどけた音を出すとき、管の先を上に向けるというアクション。その昔、テレビで「のだめカンタービレ」をやっていた時、そういうシーンががありましたが、これもN響ではまず見ないパフォーマンスなので、指揮者の指示なのでしょうか。でも、そういったことは一つの例であって、何よりも楽員たちが実に楽しそうに演奏していたことは特筆すべきことです。
第4楽章のアダージョもテレビドラマのBGMに使われましたが、どうもそのイメージが頭に残っていたせいか、湖に小舟が浮かんでいるシーンを連想してしまいました。この曲自体がそういう曲なのか、チョン・ミョンフンの指揮がそう感じさせるのかはわかりませんが、精神的なものよりも風景画的な印象が強いことは間違いありません。ともあれ、音楽とは楽団も聴衆も楽しむべきものという、指揮者のメッセージを感じた一夜でした。(2013年6月)