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AMATI vs C-3900

 2022年3月にB&W 802SDからソナス・ファベールのアマティ・トラディションに入れ替え、すでに1年半以上経過し、そろそろアマティに合うアンプを探したいという思いが強くなりました。ところが今年、2023年の夏は過去に例のない猛暑で、最高気温が35℃という日が続き、とても外出する気になれません。9月に入っても暑い日が続きましたが、今年になってLUXMANのC-10に続き、エソテリックからGrandioso C1X Soloが発売され、候補機がそろったということで、意を決してオーディオショップに行ってきました。当初はこの2機種が本命でしたが、アキュフェーズのC-3900も比較の対象として加えました。B&Wの場合、アキュフェーズは誰もが勧める組み合わせですが、アマティの場合、そういった王道はなく、というよりもそういう情報が出回るほど、アマティのユーザは多くないということなのでしょう。
 これらの3種はさすがにどれを選んでも間違いはないと思わせるクオリティを備えています。LUXMANのC-10はオーディオ雑誌での評価の通り、楽音以外の音は出さないといった感じで、音楽に集中するには最適なアンプと思われました。アキュフェーズのC-3900は2020年の発売ですから、あと2年もすれば後継機種が発表される時期で、今更という感じでしたが、C-3800に比べて、よりきめ細かい音になっているのが良くわかりました。C-10との違いが分かりやすいのがピアノの独奏で、試聴に使ったのはアリス・紗良・オットーのベートヴェンのピアノソナタ第3番ですが、アキュフェーズはスタジオで弾いている音、LUXMANはコンサート・ホールでの音というところです。エソテリックはLUXMANのような洗練された音でありながら、より鮮明化を図った感じで、これもまた使ってみたいと思わせられた製品です。ただ、これとペアになるパワーアンプが高価で、両方揃えるのは無理ということで、比較対象から外しました。

 アマティに相応しいアンプを、と意気込んで試聴したのですが、結論から云うと、C-3900という、面白味のない選択結果となりました。もちろん音は使ってみたいと思わせるだけの説得力はありますが、決め手となったのはデジタル・イコライザーDG-68との親和性、それにパワーアンプ、A-70の存在です。最小の投資で最大の効果を得るという、五味康祐が聞いたら吐き捨てられるような理由ですが、それだけではありません。一般に"解像度"あるいは"きつさ"を緩めるのは比較的容易ですが、その逆はできないという、オーディオにおける常識も要因です。C-10を選んだ場合、心地良さだけでは満足できず、いずれ”もどかしさ”を感じるのではないかという杞憂もありました。

 C-3800の時は、電源投入直後の音が、試聴時とあまりに違うので戸惑いましたが、C-3900はそんなことはありません。初めて電源投入した時からみずみずしい音が出て、やはりC-3900にして良かったと思いました。音出しに使ったのは、効き馴染んだCDということで、ミハイル・プレトニョフがピアノを担当するベートーヴェンのピアノ協奏曲 第1番。CDプレーヤをX-01XDに換装した時に、空間的に音が飽和してしまうと感じたほど空間的広がりの大きなソースです。当時はB&W 802SDで、スピーカの配置を見直すきっかけになりましたが、アマティの場合、802SDより更に音像がSPの間に留まり、左右への広がりが物足りなく感じるくらいでした。C-3900では二つのスピーカの間に収まるのは変わらないものの、SPを含む前後面の空間に密度の高い音像を提示してくれます。空間的プレゼンス以上に印象的なのはその音質で「みずみずしい」というのがまさに的を得た表現です。

 物理的にはきめ細かくなっているということ、つまり分解能が更にあがっているのだと思いますが、聞いていてそういった印象は受けません。C-3800の時は、C-2800からのアップグレードだったこともあり、物理特性の進化を大きく感じましたが、C-3900は明らかに違います。もちろん聴感上の違いも、突き詰めれば物理特性の差なのでしょうが、そういった高性能を感じさせる音の変化ではなく、音自体の美しさが際立ち、演奏会場の雰囲気がより伝わってくるといった変化を強く感じます。その変化で思い出したのは、もう随分前ですが、スピーカ・ケーブルを本格的なケーブルに代えた時のことで、信じがたいほど、しっとりとした味わい深い音に激変したのに似ています。高性能を追求してきたアキュフェーズですが、C-3900では、そういった基本特性は確保しつつも、音楽を再生する機械としてどうあるべきかを追求した製品ということなのでしょう。
 アマティには、いわゆる音楽性に優れていると云われる、LUXMANや海外製アンプの方がより相応しいのではないかと思っていましたが、新しいアキュフェーズは、そういった面でも不満は感じません。ただ、C-3800導入時のコメントを読み返してみると「一番の特徴は音が柔らかくなったこと。オーディオで良く言われる、分解能が上がると柔らかくなるというのは事実のようで、802SDのページで取り上げた、ジェームズ・レヴァインのモーツアルトの交響曲第25番で、こんなにしなやかな弦は今まで聞いたことがありません」とあります。C-3800も高性能化だけではなく、音の質の変化についても言及しているように、ハイファイ調からの脱皮は、すでに当時からの傾向なのでしょうが、それがC-3900でより顕著になったと思います。

 C-3800のページを振り返ってみると、再生の難しい声楽を含む大編成な曲を多く引用しています。解像度が大きく向上したことで、大編成の曲が楽しめるようになったということですが、これはその中の一つで、ジェームズ・レヴァインとウィーンフィルによる、ベートーヴェンのミサソレニムス。ザルツブルク音楽祭でのライブ録音です。録音も演奏も不満の残るCDですが、C-3800の時に再生の難しいCDとして取りあげているため、比較のために聞いてみました。実はC-3900を購入した時は、CD再探訪というテーマで「宗教曲」を集中して聞いていた時期でもあり、C-3800との違いを把握するには格好のソースでした。ミサソレムニスを一聴して感じる違いは、圧迫感のないことで、C-3900ではボリュームを+1dBくらいあげて丁度よいくらいで、その違いは歴然としています。アマティに代わってもでもまだ満足できる状態ではありませんでしたが、C-3900を得て、ようやく音を気にしないで聞ける状態になりました。

 これはC-3900の再生音のしなやかさを示す一例ですが、2009年に書いたスピーカのセッティングのページで引用したCDで、ネヴィル・マリナー、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズによるハイドンの曲名のついたシンフォニー集。当時、4枚目のマリア・テレージア(Hob.I:48)が、ヴァイオリンが目立ち過ぎる録音として取り上げたものです。C-3900ではどこに不満があったのだろうかと思うほど、ヴァイオリンが自然なバランスで再生されます。それにしても、オーディオにおけるプリアンプの存在は非常に大きく、音楽の印象をまったく変えてしまうほどの影響があります。言い換えれば、C-3900がそれだけのポテンシャルを持っているということで、2020年にステレオサウンド誌でグランプリを得たのは納得です。

 これも先のミサソレムニスと同様、C-3800の時のレポートに記載したCDで、その時のコメントは上述した通り、高性能化だけではなく、しなやかさも向上していることが確認できたとあります。先のハイドンは1975年のアナログ録音をデジタル化したCDですが、こちらは1985年のデジタル録音です。1985年といえば、デジタル録音が始まってすぐの頃で、この頃の録音はデジタル特有の冷たい音と言われていた時代です。スピーカがアマティに代わったことも大きく関与していますが、C-3900で再生した時の音のしなやかさはC-3800の比ではありません。さすがに現代の録音と比べると空間的プレゼンスは劣りますが、それでもきつく感じられたヴァイオリンが激変するのを聞くと感激です。1980年代のデジタル録音が現代になって、ようやく本来の姿が再現できたということですが、こういった古い録音に対しても、C-3900が効果的に働くのは嬉しい限りです。

 古い録音のCDが続いたので、比較的新しい2008年の録音ではどうかということで、ナタリ―・デッセイのバッハのカンタータ集です。このCDも何度か登場していて、声楽のリファレンス的存在となっていますが、直近では「2021-22のテレビ放映から」と題したページに登場する、ラファエル・ピション ピグマリオン演奏会で、ソプラノのサビーヌ・ドゥヴィエルに触発されて取り上げました。バッハのカンタータ第199番「私の心は血の海を泳ぐ」を例にあげると、このCDはソプラノの声がバックの楽器に対して前に出てくる傾向があります。この時も「ドゥヴィエルの方が、バックとの調和を感じ、楽器もよく聞き取れるのに対して、ドーセは声のみに囚われてしまいがち」と記しています。C-3900では前奏から臨場感に溢れていますが、声が空中に飛び出していたのが、ステージ上に留まり、バックの楽団と歌手との関係がより自然になりました。デッセイの声の質そのものは変わりませんが、表情がより明瞭に把握できるように感じます。

 C-3800の導入時は、その高性能ぶりから大編成のCDに着目しましたが、C-3900は、もっと音楽寄りというか、演奏家の存在に意識が向かいます。それは802SDからアマティに代えたことにも通じることで、アキュフェーズの方向性が、アマティにも相応しい音を提供してくれたのは嬉しい誤算でした。このページの表題を「C-3900の導入」ではなく、「AMATI vs C-3900」としたのは、アキュフェーズとアマティは相反する方向性の音ではないかと危惧していたためです。結果的にはそのような心配は無用で、安心するとともに、改めてアキュフェーズの音作りにおける進化を実感した次第です。
 C-3900が届いたのは9月22日。音はほぼ固まって来たようですが、まだ鳴らし始めて2ヶ月ですから、更なる変化もあるでしょう。アマティによるCD再探訪というシリーズも作業途上にて、まずはより多くのCDを聞いて、どのように再生音が変化していくか、見極めることとします。その過程で、イコラーザーの微調整や、ケーブルによる違いなども試してみるつもりです。(2023年11月)


 C-3800のページを振り返ってみると、購入時からデジタル・イコライザーDG-48を調整しています。イコライザーはプリアンプは通らないので、関係ないと頭では分かっていても、C-3800から思うような音が出ず、悪戦苦闘していた様子が伺えます。オーディオ機器で、初期状態の音が違うというのはCDプレーヤでも経験していますが、アキュフェーズのような品質管理を徹底している会社の製品でも起こる、というのは珍しいのではないでしょうか。C-3900ではそういうことはなかったのですが、機器固有の事象なのか、当該製品(あるいはロット)の使用部品によるものなのか、興味あるところです。